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昭和初期の小瀬船溜まりあたりの風景。 |
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昭和3年の通常県会で決議された串木野港修築費621,239円の拡張計画は、内務省に許可申請中であったが、昭和6年3月31日付内務大臣の許可があり、その指令書は3月9日に鹿児島県庁に到着した。これによると1,847,239円となっている。これは昭和8年度までに継続支出される予定になった。つづいて8月29日には、工事の益金は県営築港費に寄付する約束で起された串木野海岸大埋立工事、および護岸工事費に充当する起債金(231,700円)を許可する旨の指令も出た。串木野海岸の大埋立工事の計画は、大築港工事に付帯し進められ、工事総面積は30,924坪という広大なものだった。
埋立工事設計概要⇒岳釜から勘場に至る約800mの海岸を基礎とし、それより西方400m近くに達する海中を埋立てて、周囲約2km、面積30,924坪の陸地を確保し、納屋や住宅を建てて理想的漁業部落を作り上げる計画であった。 |
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砂浜には多数のトロッコが走り、砂や物資を運んでいた。当時、ダンプやトラックなどの運搬車輌が無い、もしくは少ない時代には、トロッコが欠かせない存在だったと思われる。工事期間は3ケ年とされ、埋立に要する土砂は勘場の国有保安林地から採取された。 |
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上記の海岸が埋め立てられて、民家が立ち並んだ風景(昭和初期)小瀬町・新生町あたり。右の上あたりには大量の材木が置かれ、木造船を建設している様子が写されている。 |
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現在の本浦地区の西浜町に漁港市場が建設され、集落が出来上がった。 |
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